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Essay エッセイ

わたしがこんなにもの持ちがいい理由

わたしがこんなにもの持ちがいい理由

 さっき、友人に葉書を書こうとして、何気なく選んでいたポストカードの束が、三十年前に亡くなった父とパリに旅行したとき、お土産に買ってもらったものだった。当時まだ日本にはなかったPrintempsの花柄の紙袋もそのままだ。

 もともと、もの持ちはいいほうだと思ってはいたが、これは相当なものだと苦笑してしまう。同時に、父の買いだめ癖のすごさにも、あらためて驚かされる。

 家族のあいだでは、この手のことには慣れっこだ。母はいまだに父の買いだめしたノートやクリップやシャーペンの芯を使っているし、父が使いきれなかった名前入りの原稿用紙もまだだいぶ残っている。

 わたしは小学生の時に京都で父に買ってもらった千代紙をいまだに大事に少しずつ使っているし、お客様にだけ出す「さるや」の楊枝も父の買いだめのなごりだ。

 ふだん使っているもののなかにも、手鏡や櫛、アンティークの空き缶、ペンケースや文鎮、フランス語の辞書など、父に贈られたものがたくさんある。

 わたしがこんなにもの持ちがいいのは、日常のあちこちで父に触れたいからかもしれない。

Photo by MUKAI MUNETOSHI

Tags:

物持ち, 葉書

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