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Essay エッセイ

心から素敵と思えるか

心から素敵と思えるか

 誰からも、格好いいとかすごいとか言われている人を見て、どうしても心から素敵と思えないときがある。男性でも女性でも、大人でも子供でも、友人でも知人でも、身のまわりの人でも、遠くにいる人でも、有名人でも、アスリートでも、何かのエキスパートでも。

 どこから見ても、その人は姿も中身も格好いいし、実績もあるし、やることなすこと完璧だし、なのにどうして素敵だと思えないのかが不思議で、自分に問いかける。どうして、あの人のことは素敵だと思うのに、この人にはそう思えないのか。その人の言葉や行動をじっと観察する。

 なかなかこれだという答えが出なかったが、最近ようやく、これかと思う理由に思い当たった。その人のなかに、計算高さが見えると、わたしはどうしても心から素敵と思えない。

 ずるいとか、あくどいとかそういうことではなくて、ただ、とても頭がよくて、自分が人からどう見られるかもよく知っていて、先々のこともちゃんと見通しがついている。もちろん、努力も人一倍するが、万が一しくじったときの保険もきちんとかけてある。勉強、仕事、恋愛、結婚、家族、人間関係、人生のどんな場面でも、何が得で何が損か、利益になることとそうでないことを瞬時にかぎ分け、生き残る術を見つける。大多数の人がいいと思うものをよく知っていて、何の照れも気負いもなくそれをやってのける。

 自分の意思でやっている場合と、家族やブレーンが先導している場合とがあるが、どちらも素敵でないと感じる。本人にまったくそんな気がないとしても、天性の計算高さを持っていることが、わたしにとってもう素敵ではない。人の魅力は、決して計算高さからは生まれない。

 わたしが心から素敵と思えるものは、不器用なほどのストイックさや、ときに情熱にまかせて突き進んでしまう純粋さや、誰からも認められなくても自分を信じる強さや、報われない愛を持ち続ける愚かさや、あやういほどの無防備さなどのなかにある。わたしが胸を打たれるのは、心にひとつだけの宝石を持っていて、それをずっと磨き続けているような人だ。

 計算高さ。それはわたしに最も欠如したものだから、それを持っていて、自由自在に使いこなしている人が少しうらやましいのかもしれない。けれどわたしは、こんな生き方しかできない。

Photo by MUKAI MUNETOSHI

Tags:

生き方, 素敵

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